感情について

最近は、ここしばらくの不摂生を反省し

体調(と体型w)を立て直しているところです。


マコモ茶と梅酢と

BMDのプロポリス&濃縮ひのき茶が

最近のお供です。。


アイスは控える!



ところで、

光と闇って言葉を

最近使うことが多かったのですが


私の中ではその定義は

かなり単純化されていて


あくまでも私の経験からのものですが


光とは

魂からくる純粋な願いや動機


闇とは

人間の感情

(ネガティブなもの)


それは決して大それたものではなく

ほんのささいな嫉妬や妬み、

悲しみ、寂しさなどからくるもの


その「喜べない」感情が

どれだけの破壊力を持つのか


これまでの人生で関わってきた

様々なプロジェクトや計画など

始まりの波動はものすごく高く美しいのに

なかなか成就せず、消えていく原因は

思い返せばほぼ全てそこでした

(どんなに表向き綺麗な言葉を使っても)


もちろん私にもあるし

人間だったら誰にでもあるもの


私は、現在の地球規模の問題も

殆どそこから発しているのではないかと思っています


私はそんな単純な人間なので

最近のスピリチュアルな文化は

よく分からなくて苦手なのです。。



ちょうど読んでいた辻麻里子さんの本に

似たことが書いてありました

(22とは人類の集合意識のこと)


「それでは、アプローチを変えて、地球人類がなぜ、いつまでたっても22を超えて行かれないのか、集合意識の仕組みから構造的な説明をしよう。
たとえば、なにか新しいことをはじめようとすると、横やりが入り阻止されるという現象がある。これでは、人類の進化はままならない。それはどういうことかというと、誰かが人類の集合意識に光を投げかけるようなパターンを作ろうとすると、なにかしらの妨害にあう。それらの妨害とは、誰か個人的な悪意とか、個人的な妬みとういものにかぎらず、一人ひとりが発する、人を羨むような些細な感情が集合意識のなかで雪だるま式に増大し、新しいことをやろうとする人の前に立ちはだかるのだ。そんな小さな思いが、まさか人類の進化を阻んでいるとは、誰も思いつかないだろう。
しかし、誰しもその発信者になり得ることを自覚したまえ。このような感情はなにも特別なものではなく、些細なこととしてあり得るのだ。

人類の集合意識を観察すると、自分が発している感情には責任を持たなくてはならないと思い知るだろう。この種の感情を極力発生させないためには、自分がどこから来てどこへゆくのか、自分が誰なのかを思い出す必要がある。汝自身を知り、汝自身で在り続けることができれば、他の人がどうとか、あの人がこうとか、外の世界に翻弄されることはない。

しかし、その逆もあり、感謝や悦びという本当に些細な感情が、滋養を与え、木々や植物の生育に影響を与え、惑星地球を彩ってゆく。それだけ、人類の感情というものは未来への可能性を秘めているといえよう」



最後の一文が滲みます。。


感情について以前教わり

自分に行っていたレッスンは

とっても簡単で効果絶大でした


それは

「自分の感情を客観的に観察します」

とアファメーションすること

ただそれだけ。


祈るって、光ですよね

闇には光を



頭痛、そろそろおさまりますように。。。



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